日本産業衛生学会第47回産業精神衛生研究会(2006年.2月18日、大阪)
教育講演
エビデンスに基づいた職場のメンタルヘルス活動
川上憲人(岡山大学大学院医歯学総合研究科)
T.はじめに
産業保健活動において、事業者と労働者にその意義を理解してもらい、限られた資源を有効に活用して活動を推進し、その実行において説明責任を果たすために、産業保健専門職が「根拠に基づく産業保健活動」を行うことが求められるようになってきた。職場のメンタルヘルス活動においてもこれは例外ではない。ここでは職場のメンタルヘルス活動の根拠(エビデンス)の現状を整理し、根拠に基づく活動のあり方について述べる。
U.「根拠に基づく医療」における根拠の水準
根拠に基づく医療(EBM)では根拠の水準を一般に以下の表のように区分している。これを今回は採用する。Ta, Tbほど根拠の水準が高く、V,Wほど根拠の水準が低い。根拠に基づく医療では、現時点で利用可能な根拠のうち最も水準の高い根拠に基づいて実践を行うことになっている。これに基づいて職場のメンタルヘルス活動を以下で評価してみる。ただし、これは筆者がこれまでに集めた文献による暫定的なものであり、今後系統的な文献レビューにより完成される必要がある点に留意されたい。
水準
|
根拠の種類 |
Ta |
無作為化比較試験のメタアナリシスから得られた根拠
|
Tb |
少なくとも1つの、無作為化比較試験から得られた根拠
|
Ua |
少なくとも1つの、無作為化はしていないがよい比較対照試験から得られた根拠
|
Ub |
少なくとも1つの、よくデザインされたその他の準実験的研究からの根拠
|
V |
比較研究、相関研究、症例対照研究といったよくデザインされた非実験的記述研究からの根拠
|
W |
専門委員会、代表的権威者の意見や臨床経験からの根拠 |
* 米国健康政策・研究局(AHCPR)
V.職場のメンタルヘルス活動の根拠
1.第1次予防(未然防止)活動の根拠
1)一般従業員向け教育
一般従業員向け教育の効果評価研究は最も数が多く、かつ一貫した効果を示している。メタアナリシス(複数の無作為化比較試験の定量的なレビュー)では認知行動療法的手法とリラクセーション法が効果的であったと結論されている(van
der Klink et al 2001)。わが国でも教員、看護師あるいは一般労働者に対するストレスマネジメントやコミュニケーションスキル教育がストレス軽減に効果があった。個人向けのストレス対処の教育・研修や保健指導は根拠のある方法として推奨できる(水準Ta)。
2)職場環境等の改善
職場環境等の改善を通じたストレス対策については、2つの無作為化比較試験、5つの比較対照試験、多数の前後比較研究で、職場の物理化学的環境、作業方法、人間関係および職場組織などの改善が労働者のストレスの軽減に有効であることが報告されている。一般に心理的ストレス反応(職務満足度を含む)および疾病休業に与える効果が大きい。効果評価の指標によっては効果が明確でなかったり、一部のグループでは改善が見られなかったりすることもあるが、職場環境等の改善も根拠のある方法として推奨できると思われる(水準Tb)。
3)管理監督者向け教育・研修
近年わが国で、管理監督者向け教育・研修の効果評価が多く実施されるようになった。ITを用いた管理監督者教育の効果に関する2つの無作為化比較試験では介入群の部下で上司の支援が維持される、職場の雰囲気が改善などの効果が認められている(Kawakami
et al 2005 & in press)。準実験研究では、1/3以上の管理監督者が研修を受けた部門では、そうでない部門に比べて、研修後に部下の心理的ストレス反応が低下していた(Tsutsumi
et al 2005)。まだ研究の数は少ないが、管理監督者向け教育・研修も実施するべき相応の根拠があると言えよう(水準Tb)。
4)ストレスチェック
問診票によって測定された労働者のストレスの特徴を書面で個人に通知し、労働者の意識づくりやストレス対処につなげようとする対策が実施されるようになってきた。無作為化比較研究では、労働者のストレスが改善したという研究と改善しなかったという研究が1つずつあり(Pelletier
et al 1999; Kawakami et al 1999)、ストレスチェックの有効性についてはまだ明確でない。効果を報告した研究(Pelletier
et al 1999)では、結果に関する個別の説明や保健指導がなされている点が興味深い。
2.第2次予防(早期発見)活動の根拠
1)メンタルヘルス相談体制
自分の精神的問題を自ら専門家に相談しようとする従業員は少なく、社内では上司、先輩・同僚などへの相談が多い。このため日常労働者と接する管理監督者を教育・研修し、産業保健スタッフあるいは専門家へと相談する経路を確立しておくことが早期発見に重要とされる。多くの専門家がこの点に賛同しているが、効果評価研究はない(水準W)。
2)精神障害のスクリーニング
うつ病用のスクリーニング質問票の感度および特異度は70-80%程度であり十分な水準にある。しかし、陽性者中のうつ病者の割合(陽性反応的中度)は10-20%以下である。一方で問題のない労働者に対して「うつ病の疑い」といった好ましくないラベルを貼る可能性もある。一般集団を対象としたうつ病のスクリーニングの効果に関する介入研究はほとんどなく、記述的報告がみられるだけである(水準V)。
一方、米国のプライマリ医師を対象として、受診患者にうつ病のスクリーニングを実施し、その結果を医師に伝えたところ、医師が患者のうつ病を認識する割合が増加し、うつ病の改善率も高いことがメタアナリシスで報告されている(水準Ta)(Pignone
et al 2002)。もしこの結果が適用できるなら、心身の問題を訴えて産業医等に相談する労働者を対象としてうつ病のスクリーニングを実施することは、産業医によるうつ病の早期発見につながる可能性がある。
3)従業員支援プログラム(EAP)
精神的問題の評価と対処には専門的知識と経験が必要であり、社内あるいは社外に専門家を確保することが有効であるとされる。米国ではEAPとよばれる職場のメンタルへルス相談サービスが従業員の生産性や労働コストの軽減にその効果があるとされるが(Colantonio
1989)、根拠の水準は中程度である(水準Ub)。
厚生労働省による「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」(平成16年10月)では、復職前面談、出社後の定期的な面談が再発予防と職場適応の支援に有効であるとされ、これには多くの専門家が賛同している(水準V〜W)。残念ながらこのテーマに関して水準の高い根拠は限られている。休業早期からのストレス対処トレーニングが適応障害の休業期間を短縮し、再発を減少させたとの無作為化比較試験がみられる(van
der Klink et al 2006)。
W.根拠に基づく活動の推進
現状では職場のメンタルヘルス活動に対する効果評価研究は数が限られており、必ずしも高い水準の根拠に基づいて活動を選択できるわけではない。しかし産業保健専門職として根拠に基づく活動を意識することは重要である。根拠に基づく活動は単に根拠を押しつけることではない。根拠を調べ、これが自分の職場にあてはまるかどうか検討し、事業者と労働者の価値観を尊重しながらその意志決定を支援することが根拠に基づいた職場のメンタルヘルス活動である。
根拠に基づいた職場のメンタルヘルス活動を推進するには、@根拠を増やすこと(研究者の仕事)、A根拠を現場に使いやすい形で提供すること(研究者と実践家の仕事)、B根拠を活用すること(実践家の仕事)が推進されなくてはならない。産業精神衛生における研究は、今後介入研究にその重点が移されるべきである。現場の産業保健専門職からみると、最新の根拠についての情報が限られている、効果が確認された方法を自分の担当する現場で利用可能かどうかの判断ができない、効果が確認された方法を自分の職場で実施するための簡便で標準的なパッケージが利用できない等の問題点がある。研究から生まれた根拠と現場をつなぐために、これらの問題点を解決できる仕組みを産業精神衛生研究会などが中心となって作る必要がある
引用文献
van der Klink JJ, et al.
The benefits of interventions for work-related stress. Am J Public Health. 91:
270-6, 2001.
川上憲人.産業・経済変革期の職場ストレス対策の進め方 各論1.一次予防(健康障害の発生の予防)職場環境等の改善.産業衛生学雑誌 44:
95-99, 2002.
Kubota
S, Mishima N, Nagata S. A study of the effects of active listening on listening
attitudes of middle managers. J Occup Health 46: 60-7, 2004.
Tsutsumi
A, Takao S, Mineyama S, et al. Effects of a supervisory education for positive
mental health in the workplace: A quasi-experimental study. J Occup Health 47:
226-235, 2005.
Kawakami
N, Kobayashi Y, Takao S, Tsutsumi A. Effects of web-based supervisor training on
supervisor support and psychological distress among workers: A randomized
controlled trial. Prevent Med 41: 471-478, 2005.
ストレスチェックの効果評価
Pelletier KR, Rodenburg
A, Vinther A, Chikamoto Y, King AC, Farquhar JW. Managing job strain: a
randomized, controlled trial of an intervention conducted by mail and telephone.
J Occup Environ Med 1999; 41: 216-23
Kawakami N, Haratani T,
Iwata N, Imanaka Y, Murata K, Araki S. Effects of mailed advice on stress
reduction among employees in
Pignone MP, Gaynes BN, Rushton JL, et al.: Screening for depression in adults: a summary of the evidence. Ann Intern Med 136: 765-776, 2002.
米国予防医療研究班(福井次矢,箕輪良行監訳).予防医療実践ガイドライン.米国予防医療研究班報告.
医学書院,
東京,
1991: 279-283.
Blum TC, Roman PM,
Patrick L: Synergism in work site adoption of Employee Assistance Programs and
health promotion activities. J Occup Med 32: 461-467, 1990.
Nadolski JN, Sandonato
CE: Evaluation of an Employee Assistance Program. J Occup
Med 29: 32-37, 1987.
Colantonio A: Assessing
the effects of employee assistance programs:A review of employee assistance
program evaluations. Yale J Biol Med 62:13-22, 1989.
van der Klink JJ, Blonk
RW, Schene AH, van Dijk FJ. Reducing long term sickness absence by an activating
intervention in adjustment disorders: a cluster randomised controlled design.
Occup Environ Med. 2003; 60(6):429-37.
外傷的出来事発生時の心のケアとしての心理学的聞き取り(debriefing)の効果については、11の無作為化比較試験のうち3つが効果あり、6つが効果なし、2つが症状悪化を報告しており、現時点では推奨されていない(Rose et al 2003)。
Rose S, Bisson J,
Wessely S. A systematic review of single-session psychological interventions
('debriefing') following trauma. Psychother Psychosom. 2003; 72(4): 176-84.
川上憲人.職場におけるストレス対策の計画の作成と進め方.産業衛生学雑誌
42(6): 221-225, 2000.
川上憲人,堤 明純.職場のメンタルヘルス(総説2000-2003).公衆衛生68(4):
301-305, 2004.